ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.8.6 03:23

日本「男児」に出口はあるのか

「男は男らしく」という気風は
戦後の時間が先へ進めば進むほど
失われてしまった。

それは戦争をしなくなってしまったからではないか。

宮崎駿は、
本当はそのことを知っていたからこそ、
脚本を書いた新作『コクリコ坂から』でも
1963年ぐらいまでで時代を遡るのをやめ、
男らしさのオリジンを
曖昧にしているのでは?

前回のブログでそう書きましたが、
これは無根拠な思いつきではありません。

原子爆弾を天罰と捉え、
戦前の日本を全否定する風潮の中で育った宮崎駿は
「日本人ギライの日本軍大キライのおくれて来た戦時下の少年」
という複雑な存在になってしまったと書いています
(ロバート・ウェストール作『ブラッカムの爆撃機』解説より)。

「空想の中で、何千というB29をゲキツイした」
と子ども時代の自分を語っているのです。

宮崎駿は、ドイツ軍による空襲を受けながらも
兵士として戦場に立つことはなかった、
自分と同じ「おくれて来た戦時下の少年」で
あるイギリスの物故した作家・ロバート・ウェストールとの
架空の対談を自作の漫画の中で行っています。

「ウェストールさんあなたは間に合えばですが爆撃機のクルーに志願しましたか?」
ウェストールは「そうしたと思います」と答えた後、すぐに問い返すのです。
「あなたは? KAMIKAZEは…」
宮崎は「そうしたと思います」と答えています。
「虚勢をはってふるえながら」と付け加えながらも。

つまり宮崎駿は、
戦争参加を徴兵によって強制された運命としてではなく、
自ら選び取っただろうと宣言しているのです。特攻も辞さずに。

それを聞いた漫画の中のウェストールは少年の忠誠心を否定
してはいけないと言います。
「少年の忠誠心」とは、損得を越えた「何かの役に立ちたい」
という思いのことです。

「少年達の勇気は、本来悲劇的なのです。しかしこの世界の重要な一部です」

そして、宮崎駿はこうモノローグします。
「ぼくの勇気はいつだって出口がなかっただけだ」

宮崎作品で初めて一般的にヒットしたのが
『風の谷のナウシカ』であるように、
男性原理よりも女性原理を優位に置いてきた
イメージがありながらも、
その底には、そのままでは発露されない
「少年の勇気」が存在していたのです。

宮崎駿が自ら監督する次の新作は
自伝的な内容になると伝えられています。

戦後出口のなかった「少年の勇気」が
くっきりと姿を現す日が
来るのでしょうか。

そして現代のわれわれは、
どこに出口を持っているのでしょうか。

そんなことも、明日のゴー宣道場では
どこかで意識しながら話してみたいと
思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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